『アリスギアマガジン』で収まりきらなかったインタビューや、
ちょっとした小ネタなど、制作の中のこぼれ話をちょっとだけご披露します!

第 3 回

アリスギアマガジンVOL.15 巻頭特集

対談こぼれ話「えらんと×COSIO」

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■初の共作はこっそりと
――同期で入社したZUNTATA時代に同じ作品に携わったこともありましたか?

COSIO:結構やっていましたよ。えらんとはサウンドプログラムで入っていたので、最初は何をやっているのかわからなかったんですが、会社でFlashゲームを作るようになってからですね。

えらんと:僕たちが入った頃がちょうどガラケーにFlashが搭載され始めた頃で、それまでゲームを作るというと、Javaでアプリをガチで作り込んでいくしかないというものだったんですが、ちょっとしたミニゲームだったらWebサイト上でFlashを使って作れるようになったんですね。これならうち(ZUNTATA)でもできるんじゃないかということで、「やってみてよ」と言われ、いろいろ作っていました。当時、携帯のサイトなんて「音なんていいじゃん! 動けばいいじゃん!」というものが多かったんですが、「うちはサウンドなんだから、サウンドがないなんてありえないだろう!」ということになり、それならばと同期のCOSIOに話を振ったのがふたりでやった初仕事ですね。

COSIO:僕も当時、アプリのサウンドはやっていたんですが新人だったので、メインの仕事ではなく、ちょっとした効果音や組み込み、工程管理などを担当していたんです。「いつ本格的に制作できるのかな」と思っていたところに、えらんとからFlashゲームを作るよということを聞いて、じゃあサウンド作ろうかと。上司にはもうサウンドどころかゲームを作った後に、「作ったんですけどこれ良いですか?」と言った記憶があります(笑)。

えらんと:裏でメッセンジャーでやり取りしてね(笑)。当時は容量制限が結構厳しかったので、最低限のものとはなりましたけど。

COSIO:同時発音数の問題でね。BGMを鳴らすと効果音が鳴らせなくて、逆もしかりで。結果的にそれがわりと社内でウケてよかったね(笑)。

えらんと:ガチのゲームというよりかは、あくまで着メロサイトのサブコンテンツとしてのミニゲームだったんですが、「うちはゲーム会社なのでちゃんとゲームも遊べます!」という感じで他のサイトと差別化を図っていたんだと思います。その時のゲームのサウンドはCOSIOがやって、プログラムは僕がやっていたわけですが、じゃあイラストはどうしようということになり、自分で描くことにしました。あの時の絵を今見ると嫌な汗が(笑)。

 

■イラストのルーツは“あの”名探偵?
――イラストの方はそれ以前から描かれていたんですか?

えらんと:小学校の頃の夢は漫画家になることだったので、子どもの頃はよく描いていたんですが、中学高校となるにつれ、あまり描かなくなっていました。高校の部活でパソコンを触るようになりプログラムのほうにハマっていった感じですね。「コンピューターを使えばゲームも作れるんじゃないか?」って。その後、大学に入った頃がちょうどインターネットが活発になってきた時期だったので、「自分もホームページを作りたい!」と思ったのですが、「何を載せようか、絵とかもあったほうがいいよな……」と考え、再び描き始めました。当時はタブレットもなくアナログ作業だったので、紙に書いた絵をスキャナーで取り込んで、それにマウスで塗るという地道な作業をしていました。解像度の概念もよくわかってなかったので年賀状に印刷してみたらすごいガビガビになって「なぜだ…」ってなったり(笑)。漫画もGペンなどを買って挑戦してみたんですが、「こんなに大変なんだ!」って速攻で挫折したんですよ。ペン入れが大変すぎるんですよね。思った線が全然描けなくて。

――その頃はどのような漫画を描かれていたんですか?

えらんと:当時は『名探偵コナン』にハマっていたので、めちゃくちゃ真似してました。ただ、絵柄に気を取られてしまって、内容はほとんどなくて(苦笑)。今でも描いてると「この線、『コナン』っぽい」と思う瞬間があるんです。誰もわからないと思いますけど(笑)。当時はイラストも月に1枚描けばいい方という感じで、本格的に描き始めたのは会社に入って何年かしてからですかね。TINAMIやPixivのようなイラスト投稿サイトが流行りだした頃、そして、TwitterのようなSNSが出てきた頃からです。即売会とかはその前から行っていたんですが、数ヶ月に1回ぐらいの開催で、ずっとあるものじゃないじゃないですか。インターネットだと毎日のように新しい作品が発表されるので、自分が描いたイラストを公開すると、そこから交流が生まれていたので。その頃が一番頑張っていた時期かもしれません。

COSIO:そうこうしているうちに、急に「サークルを作らない?」という話になって。僕も修練がてら既存楽曲のアレンジをしていたりしたので、一緒にやろうかということになりました。でもやってみて思ったのが、えらんとは絵を描いて、僕はサウンドなので、まったくジャンルが違うじゃないですか。何のサークルなんだと(笑)。

えらんと:はじめた頃は僕も音楽は捨ててなかったんですよ(笑)。会社に入って1~2年ぐらいは、一緒に秋葉原に行って、音源とかを見たりして。サークルをはじめようとなった時は、僕だってアレンジ曲ぐらい作れるし、ぐらいのつもりだったんですが、完全にイラストのほうになりました。

――サークルはおふたりではじめられたんでしょうか。

COSIO:そうですね。完全にふたりです。

――ある種、ユニット的な感じですね。

COSIO:ユニットというのは的確かもしれませんね。

 

■初の出版物はまさかの?
――えらんとさんはタイトー退職後、どんな活動をされようと思っていたんですか?

えらんと:退職後は特にツテもないし、ましてや自分の画力でイラストの依頼が来るとも思っていなかったので、何をやろうかなと思っていました。なので、それまで僕がやってきていて、仕事として成立するのはプログラマーの仕事だろうと。在籍時に携帯のアプリ用にFlashの疑似プレイヤーを作っていたので、Flashの仕様書を端から端まで読み込んでいたんです。なので、辞めて1年足らずの頃に、Flashプレイヤーを作ろうみたいな技術書を書く機会をいただけて。実はそれが僕の初出版物になったんです。ただ、結局その後はあまりプログラムに関するお仕事がなく、また、昔の知り合いからイラストの仕事依頼が来るようになったため、イラストのお仕事をしていくことになりました。この頃はサークル活動はしていたのですが、それ以外はCOSIOとも接点がなく、お互いがそれぞれの仕事をしていたという感じでした。

――その頃は仕事上の付き合いはなく、サークルとしては続いてイベントに出たりしていたと。

えらんと:そうですね。サークルがなければ今ここにふたりでいることもなかったんじゃないでしょうか。

 

■最初の候補地は廃墟?
――おふたりの共同作業場はすんなり決まりましたか?

えらんと:共同の作業場を持つことになって最初の候補は廃墟みたいなところでした(笑)。今の作業場からそんなに遠くはないところだったんですが、内見に行ったら部屋うんぬんというよりそもそも建物が廃墟で。「あれは何か出る!」ってぐらい怖かったです。撮った写真があまりにも雰囲気があったので、CDジャケットの素材として使ったりもしましたよ。

COSIO:でも立地条件は良かったよね。駅も近くて。部屋もそこそこ綺麗で広かったから僕はあそこでも良かったよ(笑)。

えらんと:僕がイヤすぎて。だって、君の夢は自分のスタジオに歌い手さんを呼んで録ることでしょ? あそこには呼べないよ!(笑)

COSIO:まぁ結局、作業場で収録できる環境は本格的にはまだ作ってないしね。逆に出張録音セットみたいなものの方が充実しちゃった。

えらんと:その後、なんだかんだでここに落ち着いて、今に至ってます。配置換えもせず、部屋の交換もせず、ずっとこのままですね。

――その後はイラストとサウンドというまったくの別業種のお仕事を続けられてるということですね。

えらんと:まったく関係ないですよね。単に職場が同じというだけで。会社で別のプロジェクトをやっているような感じでしょうか。会えば雑談をするぐらいで。

COSIO:アリスギアで初めて、同じタイトルに携わったぐらいだよね。

えらんと:それも別に紹介をしてもらったからというわけでもないしね。

えらんと:最初はCOSIOがアリスギアの仕事をしているとは知らず、ただZUNTATAの仕事をしているということを聞いていて、「本当にZUNTATA辞めたの?(笑)」というぐらいでした。その後、リリースした後にそのタイトルが『アリス・ギア・アイギス』だということを聞き、友人のよしみだし時間ができたらやろうか、と半年後ぐらいにはじめました。そうしたらとても出来が良いゲームで、作り込みがすごいなとすっかりハマってしまいました(笑)。広めの3Dのステージを自由に飛び回って敵を倒していくというゲームは自分でも作ってみたいなと思っていたジャンルだったので、「あ、やられた!」と(笑)。もうこれでいいじゃないかというぐらいのクオリティで。その後、ファンアートを描くようになったら熱心な隊長さんたちが拡散してくれて。うれしかったですね。

 

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